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 投稿者:享美  投稿日:2018年 1月21日(日)21時29分25秒
  あいどんさんとあこがれ雲さんの再会(再会という言葉は正確ではないんだけれど)の場を目撃させていただいて感激です。
あこがれ雲さんの存在については山田さんへのインタビューやあいどんさんの思い出話の中で「もう一人の青年」としてなんどか私たちもお聞き及んでいました。
そのご当人がこの掲示板を訪ねてこられるなんてなんてすてきなめぐりあわせでしょう。

傍観者として無責任な勝手な希望を申し上げれば、かつての青年二人が揃って訪ねていかれたら、山田さん、喜ばれるんじゃないのかなぁ、なんて。

いえいえ、ほんと、勝手な妄想ですが。

そして、あこがれ雲さんの、山田さんに「上がっていきなさい」と言われたにもかかわらず逃げるようにその場を立ち去ってしまったというお話にも、この掲示板のお仲間の方たちは「わかるわかる」って思う方多いんじゃないかしら。

ぜんぜんレベルは違うんだけど、私も15年くらい前に初めて山田先生の講演会に出かけた際にファンレターを持参していてスタッフの方にことづけたとき、「いま、先生は楽屋にお一人だからお会いできますよ」と言っていただいたのに、「いえいえけっこうです」とそれこそ逃げるようにその場を立ち去ってしまい、その後、どうしてあのとき直接お会いして、「素晴らしいドラマをありがとうございます」とお礼申しあげなかったんだろうと悔やんだことありました。

山田ファンならではの含羞というのでしょうか、あこがれ雲さんのお話に強く共感しました。



 
 

思い出

 投稿者:あいどん(管理人)  投稿日:2018年 1月21日(日)21時08分3秒
編集済
  あこがれ雲さん。
早稲田大学第二文学部ホームページのインタビューは読んでいませんでした。
ありがとうございます。


私は物書きの卵だったので、脚本を読ませてもらう意図ははっきりしており、山田さんも若者を励ましたいという気持ちがおありになったのでしょう、「パンとあこがれ」に限らず、いろんな自作脚本を貸してくれました。


だからその脚本を返しにいかなきゃいけないし、また借りるから、また返しにいかなきゃいけない、で、貧乏な若者だったから、返しに来たついでに晩御飯食べていきなさいなんてことが恒例になってしまったのです。厚かましいったらありゃしない。


晩御飯はもちろん山田さんファミリーと一緒でした。
親戚でもないのに、山田家の夕餉のひとときを体験している私は稀有な存在なのかも知れません。


独身生活で、月末にはご飯だけ炊いて、塩かけて食べることもあるなんて話をしたせいで、晩御飯の後、残ったご飯をもらって帰ったりしました。
本当に厚かましい。節度のあるあこがれ雲さんと雲泥の差です。


「カリメロ」というアニメのシナリオを書いてみない、と山田さんに言われて書いた時、貧乏な私はテレビを持っていませんでした。

そこで、山田さんは独身時代に持っていた、白黒ポータブルテレビを私に下さいました。
「カリメロ」はカラー放送だったけど、白黒でも自分の作品を見られることは、とても嬉しかった。

本当に、こうやって思い出すと、いろいろお世話になっています。


あこがれ雲さんとのつき合いはその時だけになってしまったようで、何回か私はあこがれ雲さんについて山田さんに聞いたことがあります。
台本をうつすくらいだからライター志望とかそういう人ではなかったのかと。
でも、山田さんは、明治の時代を知る手がかりになったとか、そういう関心だったようだと言われました。
学生さんだから、そういう学術的関心なんだ、と私は思ったのでした。


山田さんのお宅は、現在の住所ではなく「井田」でした。
初のエッセイ集「街への挨拶」は、あのお宅で書かれました。
一番最初の「炎の夢」はあの住宅街の出来事ですし、「田園の精」はあの当時の田園を背景にしています。
夕ご飯をいただいての山田家からの帰り道、カエルの声がうるさいくらいの道でバスを待った田園を思い出します。あ、バス代惜しくて、駅まで結構歩いたりしていたんだ(笑)。

十数年前に、あの家を訪ねたことがあります。
まだ家はありました。
懐かしい思いで一杯になりました。
 

後悔先に立たず

 投稿者:あこがれ雲  投稿日:2018年 1月21日(日)19時54分10秒
編集済
  あいどんさん、お返事ありがとうございます。

10年ほど前、早稲田大学第二文学部ホームページのインタビューで、山田さんは当時のことを次のように振り返って
おられました。あいどんさんはとっくにご存知だと思いますが、引用します。


 - テレビの賞についても聞かせてください。

  賞を取ろうというような気持ちで書いてはいないんです。30歳のときに松竹大船撮影所を辞め、ライターに
 なろうと決意した頃に書いた『パンとあこがれ』でテレビ大賞優秀番組賞をもらいました。NHKの朝の連続
 ドラマと同じ時間にTBSが連続ドラマをやっていた時期があったのですが、毎日NHKと同じ時間にやるのだから、
 敵いっこないわけ。だから、皆がだんだんに認知していってくれればいいというスタンスで、視聴率をそれほど
 気にしていない枠だったんです。それで、新宿中村屋の創業者、相馬夫妻のことを書きました。インド独立運動
 の志士、ラス・ビハリ・ボースをかくまったり、関東大震災のときには迫害された朝鮮人をかばったり、様々な
 ことをした人で、不倫もあったり、娘さんがボースと結婚したりと、とにかく題材はハードだった。書くたびに、
 こんなことまで書いちゃっていいのかなと思いました。でも「観てる人がどの程度いるのかもわからないし、
 いいんじゃないですか」なんていわれて、かなり思い切って書いたんです。結果的には、それで賞をもらった
 のだけど。
  その頃の僕は、まだ賞ってものが何なのかもよくわかっていなかったんです。でも、その後で2人の若者が
 『パンとあこがれ』の脚本を読ませてくれと家までやってきた。出版もされてないものだったし、僕もここに
 ある1冊しか持っていないから、誰かに渡しちゃったらそれっきりだからといったんです。そしたら、一部分
 ずつ持ってかえって、書き写すという。あの頃はコピーが無かったからね。半年分の脚本なんて膨大な量なのに、
 その2人は終わりまで借りていきました。それまでは、僕のドラマを観たよとか、書いたものを写そうなんて
 いってくれる人はいなかったから、全く関係のない彼らが、わざわざ家まで訪ねてきてくれたことはとても
 嬉しかったなぁ。


山田さんが私たちのことを後々まで覚えていてくださっているのは、大変光栄なことです。
それにしても、あの山田さんに仲人をしていただいたとはすごいですね。何とも羨ましい限りです。

私のほうはというと、とても親切にしていただいたのに不義理をしてしまい、今でも山田さんには顔向けが出来
ないでいます。

ようやく筆写が終わって、脚本をご自宅にお返しに伺いました。その時、山田さんから「上がっていきなさい。」
と言われたのに、「いえ、お忙しいと思いますので、ここで失礼します。」とお辞儀をして、そのままそそくさと
帰ってしまったのです。

あの時、自分は上がらずに、なぜ帰ってしまったのか。
前回のように上がり込んでしまったら、きっと山田さんから全体を読んだ感想を聞かれるだろうなあ。でも、今の
自分には絶賛の言葉しか思い浮かばない、山田さんの参考になるような気の利いたことは言えそうもない。
それに、この前、『山田さんは臼井吉見の「安曇野」は、読んでおられますか?』などと知ったかぶりの偉そうな
質問をしてしまったし。
(案に相違して『「安曇野」は読んでいません。』とのお返事で、余計にばつが悪くなりました)

そんなこんなを頭の中でぐちゃぐちゃと考えている内に急に気後れして、逃げるよう帰ってしまったのです。
せっかく脚本を貸してやったのに、何て失礼な奴だと思われたことでしょう。でも、後になって気が付きました。
山田さんにしてみれば、きっと脚本を直に読んだ感想を聞きたかったのだろうなあと。脚本家ですからね。だから、
「上がっていきなさい。」と。

その後、菓子折の一つも持って、改めてお礼に伺う社会常識も持ち合わせていなかった青二才の私でした。

くどくどと言い訳じみたことを書いてしまいました。でも、これを書いたことで50年来の胸のつかえが少しとれた
ような気がします。個人的なことに機会を与えてくださって、ありがとうございます。
 

今後ともよろしくお願いいたします。

 投稿者:あいどん(管理人)  投稿日:2018年 1月21日(日)15時48分33秒
  あこがれ雲さん。
私も謎が解けました。
やっぱりでしたね。

昭和62年、あるテレビ情報誌で「脚本家の横顔 山田太一」という記事が3週にわたって連載されました。
そこにこういう下りがあります。


「脚本家として手応えを感じた最初の作品は『パンとあこがれ』(TBS系)だった。『NHKのテレビ小説がありましたから、こちら(『パンとあこがれ』)は誰も見てないだろうって、随分好きなことを自由に書きましたよ』
途中から視聴率も上がってきたが、ある時、学生が台本を全部欲しいと自宅に訪ねてきた。さらにもう一人。
『三人家族』のほうが視聴率は高かったんですが、そんなことは一度もありませんでした。一種の感動を覚えましてね』
あとから山田宅を訪ねてきた学生とはその後も交際が続き、仲人までしたという」



この話は10年ほど前の、読売新聞インタビューでも語っておられ、他のメディアでも語っておられるようです。



これは当然あこがれ雲さんと私のことでしょう。
私たちも感動したけど、山田さんもまた、私たちと会うことにより、ある種の感銘を受けられたということです。

今、山田ファンはたくさんいるわけですが、あこがれ雲さんと私は「初めて現れた生身の山田ファン」として山田さんの心に刻まれたのではないかと思います。
光栄なことです。


実は、私もあこがれ雲さんのことは山田さんから聞いていました。
いったいどんな人だろうと思っていました。

前回の書き込みで、とても根気のいる「調査」に協力していると申し上げましたが、つい先日もそのスタッフの方々に、こんな人がいらっしゃるんだ、でもどういう人なのかまったく謎ですと喋っていたのです。


まったくの偶然で、こんな形で交流ができるとは思ってもいませんでした。
嬉しいです。

今後ともよろしくお願いいたします。





で、ここからは、あこがれ雲さんにお気持ちがあればということなのですが、お願いがあります。
その「調査」に協力していただければなあと思っています。

山田さんから聞いた話では、あこがれ雲さんは、私がなしえなかったことをなさったと聞いています。
いま、そのことが大変貴重なこととして浮かび上がってきています。

もしお気持ちがあれば下記メアドに連絡をお願いします。
詳細をお知らせします。
isizakataichi@gmail.com


 

謎が解けました

 投稿者:あこがれ雲  投稿日:2018年 1月21日(日)00時53分10秒
編集済
  お返事ありがとうございます。

あいどんさんは、山田さんについて沢山言及されているので、もしかしたら初めて出会ったときのことも書かれているのでは
と気が付き、前回の投稿の後、ページをさかのぼって探してみました。
情報量が多くてちょっと大変でしたが、目指す記述は意外に早く見つかりました。
それは、9ページ目、昨年10月2日の投稿。

>1970年(S45)のことです。
>ワタクシまだ未成年でした。
>当時再放送していた「パンとあこがれ」にえらく感動した私は、無謀にもこの作者に会いたいと思ったのでした。

やっと謎が解けました。お返事にもありましたが、やはりあいどんさんは、私が予想していた通りの方だったのですね。

あいどんさんが山田さんから「パンとあこがれ」の脚本を借りられるまでの顛末、実は私もほぼ同じ経験をしています。そして、
山田さんにお会いしたとき、『あなたの前にも一人、同じように「パンとあこがれ」 を読ませてほしいとやって来た若者がいる
のですよ。』と聞かされていたのです。

それ以来、どんな人なのだろうとずっと気になっていたのですが、約半世紀の時を超えて、ここで、こうして巡り会うことが
出来たとは!(少しだけ大げさに書いてみました。)

何か、昔の懐かしい同志に再会したような、今そんな気持ちでいっぱいです。
これも、あいどんさんがこの掲示板を立ち上げていてくれたおかげですね。

まだまだ書きたいことは山ほどあるのですが、夜も遅いので、次回の投稿に書かせていただきます。
 

呑気な掲示板

 投稿者:あいどん(管理人)  投稿日:2018年 1月20日(土)11時09分28秒
  享美さん、歓迎の言葉ありがとうございます。
16年前からお疲れ様です。感謝です。お互い歳をとりましたね(笑)。



「穂高屋」さん改め「あこがれ雲」さん、連続書き込みありがとうございます。

懐かしいハンドルネームの由来です。
1巻で終わったのは本当に残念。



>昔から掲示板には偏見?を持っており(特に2チャンネル)、「あの界隈には怖い人たちが巣くっていて、 言いたい放題、やりたい放題の無法地帯みたいな所」というイメージが強く、これまで「近寄らぬが吉」と敬遠して来ました。ここは全くそのようなことはなく、安心して読んだり、書いたり出来るとてもよい掲示板ですね。


ここは呑気な掲示板ですから、のどかに楽しんでいただければと思います。
ツイッター、インスタ、ブログ全盛の時代に、こんな旧式の掲示板につき合える人はのどかな人しかいないのかも知れません。



>「パンとあこがれ」で岸久美子が好きになり(宇津宮雅代よりも?)その後も注目していました。渥美清の「泣いてたまるか」や五社英雄の演出で丹波哲郎が主演した前衛ドラマ「ジキルとハイド」などにゲスト出演されていましたね。
その後、「ケンちゃん」シリーズのお母さん役が長かったようですが、「あの若さで母親役はないだろう」とちょっとがっかりもしました。1980年代末には引退されてしまったようで残念です。


よくご存知ですね。

岸久美子は「記念樹」の6話「消えて行く歌」(山田脚本)にも出ていますよね。




>『それって、新玉三千代の「細腕繁盛記」と同じだよね。』と鼻で笑われてしまいました。



そうですか。
まあ、パターンで言ったらそうなっちゃうでしょうね。
でも、そのパターンからこぼれる「余剰」の多さ。商売のことはもちろん、市井の人の生き方、当時の政治も遠慮会釈なく出て来ます。
インドの革命家を匿い、関東大震災の時には、朝鮮人虐殺に敢然と抵抗し、これも朝鮮人を匿う、そんなシーンは「細腕繁盛記」には出て来ません。

相馬綾は政治家に「今の政治をご存知かとも思うが」と聞かれ「常々、突き詰めておりませんが」と返事をしたスタンスで、市井人の感覚で、匿うのです。ここがいいところです。





>それにしても、あいどんさんが「パンとあこがれ」にものすごくお詳しいのには、とても驚いています。
「パンとあこがれ」のシナリオは、これまで一度も活字になったことはないはずなのに・・・。
立ち入ったことをお尋ねするようで恐縮なのですが、あいどんさんが初めて山田太一さんに会われたのは、いつ頃のことなのでしょうか?差し支えなければ、お教えください。




私が山田さんに会ったのは1970年だったと思います。
そして「パンとあこがれ」の台本を山田さんに借りて、第4週まで書き写しました。
最終回はカセットテープに録音し長いこと保存していました(今は壊れてしまいましたが)。
その出会いを契機に58年経った今も山田さんと交流が続いています。
「ちょっと書いてみない」と言われてアニメやドラマの脚本を書いたこともあります。
あの忙しい人に、あろうことか、九州まで来てもらい仲人もしていただきました。
幸せものです♪
そういう交流の中で、ちょっとだけ山田ドラマに詳しいのです。


私、あこがれ雲さんの記憶の内容に尋常ならざるものを感じており、ひょっとしたらという気持ちを持っています。お答え願えればいいなということがあります。


お返事はこちらではしにくいということでありましたら、下記メアドにお願いします。
isizakataichi@gmail.com

私、今、とても根気のいる「調査」に協力しているのですが、その件でも、お話し出来ればと思っています。もちろん出来ればということです。

スルーでも結構です。

今後とも「ドラマ・ファン」をよろしくお願いいたします。

 

お礼と「パンとあこがれ」について

 投稿者:あこがれ雲  投稿日:2018年 1月19日(金)12時54分19秒
編集済
  前回、「穂高屋」で投稿した者です。穂高屋は、「パンとあこがれ」で綾と隆蔵が開店したパン屋の屋号
なのですが、思いつきで投稿者名に決めたもののどうもしっくりこない(そもそもお店などやったことがない)
ので、「あこがれ雲」に変更しました。

以前、話題に上っていたのかもしれませんが、この「あこがれ雲」って「パンとあこがれ」を原作にした
少女マンガなんです。作者は辻村弘子。綾の青春時代までを描いていますが、わずか1巻で終わってしま
ったのが惜しまれる作品でした。大河マンガにして、ドラマのように戦後まで描いてほしかったです。
出版されたのがドラマから8年も後なので、辻村さん、余程「パンとあこがれ」に思い入れがあったので
しょうね。


享美さん、歓迎のお言葉感謝します。「ドラマ・ファン」は、16年も前からあったのですか。全然知りま
せんでした。
実は、昔から掲示板には偏見?を持っており(特に2チャンネル)、「あの界隈には怖い人たちが巣くっていて、
言いたい放題、やりたい放題の無法地帯みたいな所」というイメージが強く、これまで「近寄らぬが吉」と
敬遠して来ました。ここは全くそのようなことはなく、安心して読んだり、書いたり出来るとてもよい掲示板
ですね。
もっと早く気付いていれば、私のTVドラマ・ライブラリも、もっと充実したものになっていたのにと、残念
に思っています。


あいどんさん、新参者の私に心のこもった懇切丁寧なお返事をいただき、ありがとうございます。

>「西洋にかなわぬものがあるからと言って、~」

ブルボー校長(イーデス・ハンソン)に退学を宣告される綾の上級生石川小枝の台詞ですね。演じたのは、
岸久美子。生徒たちの前でアジ演説をする姿が鮮烈で、木下恵介の「女の園」(1954)のラスト、全校生の前で
演説をぶつ山本洋子の姿を彷彿とさせる名演でした。

「パンとあこがれ」で岸久美子が好きになり(宇津宮雅代よりも?)その後も注目していました。渥美清の
「泣いてたまるか」や五社英雄の演出で丹波哲郎が主演した前衛ドラマ「ジキルとハイド」などにゲスト出演
されていましたね。
その後、「ケンちゃん」シリーズのお母さん役が長かったようですが、「あの若さで母親役はないだろう」と
ちょっとがっかりもしました。1980年代末には引退されてしまったようで残念です。


>新宿中村屋というパン屋さんの話だからパンなんだと、~

この文章は私もどこかで読んだ記憶があり、「ふーん、そうなんだ。」と単純に思っていました。
しかし、今回「人はパンのみにて生きるにあらず」に関係付けたあいどんさんの解釈は、言われてみれば確か
にその通り。「眼からうろこ~」で、とても勉強になりました。山田さんのことですから、きっとパンには深い
暗喩が込められていたはずですよね。

確かに「人はパンのみにて生きるにあらず」は、第103回のナレーション「自分の人生はこれだけのものと
考えて、~」が間接表現している内容ととぴったり重なりあいます。


>私も「パンとあこがれ」が面白かったと仲間に言ったら、鼻で笑われました。

私にも同じような経験があります。
学生時代、友人の紹介である脚本家の方とお会いする機会がありました。「パンとあこがれ」のこと
を話したら観ていないということなので口角泡を飛ばして説明したのですが、やはり分かっていただけず、
最後には『それって、新玉三千代の「細腕繁盛記」と同じだよね。』と鼻で笑われてしまいました。
他のドラマや映画、H・P・ラヴクラフトなど海外の怪奇小説の話はとても面白かったのに、「パンとあこ
がれ」のことだけは、今でも心残りです。まあ、私の説明力不足が最大の原因ではあったのですが。


それにしても、あいどんさんが「パンとあこがれ」にものすごくお詳しいのには、とても驚いています。
「パンとあこがれ」のシナリオは、これまで一度も活字になったことはないはずなのに・・・。

立ち入ったことをお尋ねするようで恐縮なのですが、あいどんさんが初めて山田太一さんに会われたのは、
いつ頃のことなのでしょうか?差し支えなければ、お教えください。

 

歓迎 穂高屋さん

 投稿者:享美  投稿日:2018年 1月18日(木)23時23分38秒
  この掲示板の最古参のひとりとして穂高屋さんの書き込みを興奮して読みました。
この掲示板は、2001年7月に管理人のあいどんさんによって開設されました。
もう、16年前のことになるんですね。(今指折り数えてびっくり)
私はその掲示板の第一書き込み人なんですよ、エッヘン。
その最初の書き込みで、テレビドラマが好きっていうのはあまり大きな声で言えなかった、高校時代も世を忍ぶ仮の姿として映画研究会に入っていたという暗い過去を懺悔した私でした。
「TVドラマは文学や映画などよりも数段劣ると思って」いらっしゃったということですが、世間の評価がそうでしたものね。
高校時代、テレビをよく見ていた男子がクラスメートから「テレビ男」と蔑まれているのを目撃した私は、「やっぱり趣味は映画ってことにしておこう」と思ったのでした。
このドラマファン掲示板でたくさんのお仲間に出会い、哀しい過去は払拭され、今では立派なテレビ女になりました。
穂高屋さんが挙げていらっしゃる「天下御免」や「幽婚」についてはこの掲示板でも熱く語り合った思い出があります。
私は、「パンとあこがれ」は当時見てはいましたが、これが山田太一脚本だと知るのは「それぞれの秋」で山田ファンになって後のことになります。

穂高屋さんから、もっともっとテレビドラマへの熱い思いや貴重なお話が聞けるのを楽しみにしています。
どうぞ、足繁くお越しくださいませ。
熱烈歓迎申し上げます。
 

情報感謝&はじめまして。

 投稿者:あいどん(管理人)  投稿日:2018年 1月17日(水)23時10分52秒
編集済
  えびようさん、三昭食堂さん、「美術手帖」情報ありがとうございます。
私まだ書店に行ってないので、読んでおりません。
ですから感謝です。

>震災3作のことだけを掘り下げた内容で、「恐怖についてもっと書きたい」と。


そうですか、書くこと一杯ですね。
嬉しいことです。
無理なくフットワークを身につけていって欲しい。


穂高屋さん、はじめまして。

「わが青春のとき」はいいドラマですよね。
この頃の倉本聰はいい。とくにドラマの息づかいがいい。魅力あります。

DVDBOX出てるんですか。知りませんでした。

「パンとあこがれ」についても随分お詳しいですね。
びっくりです。

「西洋にかなわぬものがあるからと言って、なんもかも西洋がいいというのは間違っちょる、おのれを見失なっちょる。こんな時だからこそ日本の伝統を学ばなければいけないのっしゃ」という先輩女学生のアジテート。

「恋愛というものは、小説本がうたい上げるような綺麗なものではないのかもしれない、むしろ、どんなに周りが傷つこうと、自分たちの思いだけはとげようとする醜いものなのかも知れない」という初恋の人の裏切りの言葉。

穂高屋さんが言われるように
「自分の人生はこれだけのものと考えて、その中に幸せを求めることもひとつの生き方には相違ない。しかし、また一方では心にあこがれを抱き、自分の人生を少しでも拡げ、少しでも強く生きようと今の自分にはないものを求める人生もある。無事な日々だけでは満たされぬ人たちに、心にあこがれを抱く人たちに、私達はこのこの物語を捧げようと思う。」
というナレーションもいい。
とにかく魅惑的台詞、シーンが一杯です。


私は「パンとあこがれ」というタイトルについて、「人はパンのみにて生きるにあらず」という言葉がヒントになっているのではと思っています。

人はあこがれや志を持ち、自分の人生に任意性を持とうとするけど、生活という課題が重くのしかかって、ともすれば、あこがれは霞んでいきます。

そんな中で、どこまであこがれを抱き続けていけるのか、どこまで志を維持できるのか、その現実と夢の相克を描こうというタイトルではなかろうかと思っています。


新宿中村屋というパン屋さんの話だからパンなんだと、何かのインタビューで山田さん答えていたけど、それだけではないと私は思っているのです。



>それまで若気の至りでTVドラマは文学や映画などよりも数段劣ると思っていました。

当時はそういうものでしたよね。
私も「パンとあこがれ」が面白かったと仲間に言ったら、鼻で笑われました。
仲間は全員映画青年でしたから、映画に比べればテレビなんて、という通念から逃れられないのです。
見てから批判しろよ、と言っても、演出者が次々と代わるシステムそのものが作品の純度を損なわせ、見る必要もなく、くだらないものだと言われたものでした。

しかし、テレビの世界に何かが起きていました。

初めて山田さんと会った時、山田さんは「他に好きなライターはいますか?」と私に聞きました。
当時、テレビを脚本家で見るなんて人は殆どいませんでした。なのにそういうことを聞くんです。

私は「倉本聰です」と答えました。
山田さんは「ああ、あの人はスキャンダラスなことを狙わないで、普通の人を描こうとしてるよね」と言われました。
私は「会ったことはあるんですか?」聞きました。
するとテレビ大賞の授賞式でちょっと会ったと言われました。
お二人の交流もまだ全然なかった頃。

でも、このお二人や早坂暁さんや向田邦子さんなどがテレビを充実させていったのだと、今、思います。


穂高屋さんは、いろんなことをご存知で圧倒されます。
また、いろんな話を聞かせて下さい。


そうだ、早坂暁さんで思い出しました。

文庫さん情報ありがとうございます。
私も別ルートから仕入れました。


アニメ「仙人部落」ビジュアル。

http://natukasi-anime.at.webry.info/200809/article_3.html


放送予定。

https://bangumi.skyperfectv.co.jp/e2/query:%E6%97%A9%E5%9D%82%E6%9A%81/

 

早坂暁脚本のアニメ「仙人部落」は2月放送/時代劇専門チャンネル<時代劇アニメ100年祭>

 投稿者:文庫  投稿日:2018年 1月17日(水)22時00分47秒
  通りすがりの者です。
原作:小島功(「週刊アサヒ芸能」連載) 脚本:早坂暁、キノトールほか 制作:TCJ(エイケン)の
アニメ「仙人部落」(1963~1964/フジテレビ)は、
2月に時代劇専門チャンネル<時代劇アニメ100年祭>で、CS初放送されます。
放映エピソードは、全23話のうち現存する21話(12話・19話は原版不明)。

詳細は、時代劇専門チャンネル「仙人部落」番組詳細情報を御参照ください。

https://www.jidaigeki.com/program/detail/jd11001353.html

 

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