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私の太宰デビューは中学生のときでした。
バカな私は、「15歳でこの男の魅力が理解できるのは私くらいだろう」などと悦に入っておりました。
自分にはぼうっとしている瞬間などない、ぼうっとしている自分に「彼は無心でそこにたたずんでいるのであった」などという注釈をつけてしまう自分が必ずいた、そういう自意識過剰な人間であった、というような文章(ごめんなさい、勝手に記憶の中だけで書いてますので不正確この上ない再現です)を読み、自分との類似性に「この人は運命の人なのか。運命の人を見つけたと思ったら既にこの世にいない人だったなんて、なんて私の人生は悲劇的なんだろう」。15歳の私はこういうバカでした。
ところが高校に行くと誰もがみな「太宰と自分」の特別な関係を語っているではありませんか。
がっかりもしましたが、あの体験が私を、「深刻ぶりっ子バカ」から「底抜けおちゃめバカ」に変貌させてくれたような気もします。
おバカでおちゃめな女子高生に太宰は似合わないので、以後太宰ファンであることはなるべく隠して生きてまいりました。(悲劇的な人生です)
そんな、やや屈折した太宰体験を持つ私ですが、40歳を過ぎてから読み返すと、とてもまっとうな、格調高い文章の魅力を再発見することになりました。
先日もmixi内で太宰文学の話題が出て、50歳前後の同年代の女性達がそれぞれに「私と太宰」の思い出を固有していることを改めて知りました。
あいどんさんの太宰体験を「へええええ」とおもしろく読みました。
「私と太宰」の特別な関係、読者にそういうものを感じさせる(錯覚も含めて)作家、と言えるのかもしれませんね。
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