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昭和60年度卒の吉田と申します。
全然関係ないページをググッていたらこちらを見つけました。
私が現役だった時はとにかく恵まれていました。
1年の時の県大会「銅賞」 東北大会「銀賞」(金賞にあと1点・・・)
2年の時の県大会「銀賞」 東北大会「銅賞」
3年の時の県大会「金賞」 東北大会「銅賞」
在籍中の3年間、全て(いや、全国に行きたかったけど)入賞の喜びを享受できたのですから。
3年の時の県大会で頂いた金賞は、歌い終え、舞台袖に引き上げた時点で全部員が感じていたものでした。「金賞」ということではなく、「なんだろうこのスッキリした気分は・・・」「全てを歌い切って、出したよね」「え?へ?今の舞台は自分達の歌?」という思いからくる、自分達の最高だよこれは、という意味の金賞。
当時も(今を知らないけど)男声は極端に少なくて、それをカバーするべく神山春男先生の指導で左からソプラノ、テナー、ベース、アルトと並び、自分達はソロを競うのではなく、ハーモニーを表現するのだと各自が認識して望んだ県大会でした。
受賞団体発表後の総評では、「福島北高の男声は目を閉じて聞くと実際の何倍もの人数で歌っているように感じられた」と言われ、客席で男泣きをしました。
こぼれ話ですが、別にこちらは意識という意識はしていなかったのですが、この時の発表を聞いた磐城高校の生徒達が、「チキショウ、福島北高なんて」と言っていたのは忘れられません。意識してくれていたんですね。こちらは他校のことより、自分たちのことで手一杯でしたから・・・
ただ、次に進んだ東北大会では磐城高校は金賞で全国大会出場、我々はこれまた歌い終えて舞台袖で分かった(予想できた)銅賞。敵の方がうわてでした。笑
いやぁ、なつかし・・・
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